MENU OPEN

慈妙院の魅力


  • 現在の御本尊の由来を記すと、徳川5代将軍綱吉の守り仏であったが、綱吉の側近であった柳沢吉保が柳沢家の守り仏として綱吉よりお引受けし祀っていた。大東亜戦争のおり昭和17年の暮れ、柳沢家の家系を深く知る知人が帝都の空襲を恐れ、都内の寺にあったこの薬師如来と位牌文書等を将軍家と縁の深かった日光山内に預けたという。

  •  この薬師如来像は東京芸大教授で人間国宝に選ばれた平櫛田中仏師が、102歳の春に鑑定自書箱書きされた室町時代の薬師如来像であり、日光輪王寺の御門跡、菅原栄海大僧正が第252代天台座主を務めておられた昭和48年3月、東北大本山中尊寺の貫主であった今春聴(今東光)大僧正が慈妙院の住職で居られた関係上、慈妙院への奉納をお引受けすることとなった。

  • 天台宗 山門派に属する。
     本尊は薬師如来であり、付近の人々の間では神明のお薬師さんと呼ばれ親しまれている。
     慈妙上人の創建したものであるが、詳しい年月日は不詳である。ただ、密蔵院縁起という書物によると、慈妙上人は天台の高僧にして、後伏見天皇の御帰依が深く、内勅を奉じて六十余州にわたって葉上流密教の道場を求めて、伊勢大神宮の御告げによってこの地に来た。これよりまた白牛と共に仏縁の地を求め南へ下られた。
     牛毛村で白牛が消えたことで、この地に密蔵院を建立した。時に嘉歴3年であった、と記してあることから推測すると、慈妙院の創建はこれ以前の事となる。その後、永正2年3月8日西蔵坊盛源の本願によって本尊が安置された。しかしながら現在の本尊は当時とは異なる。すなわち、昭和50年4月25日突然の災害により全山焼失。以来、新寺として再建することとなった。